つんくを覚えていますか?
バンド「シャ乱Q」でボーカル担当。
華やかな衣装、軽快なリズム音楽で颯爽とデビュー!!
「シングルベット」「ズルい女」などヒット曲を多数生み出しました。
そんなつんくは、人気絶頂の時にがん発覚で声帯摘出。
完全に声を失い、歌うことができなくなり、芸能界の表舞台から姿を消しました。悲しすぎる運命です。
あれから、まもなく10年が経過。つんくの現在は?
今は何をしているのでしょうか?
つんく 経歴は?本名は?大阪府東大阪市出身で近畿大学を卒業していた。
本名:寺田 光男
生年月日:1968年10月29日(2023年現在、55歳)
出身地:大阪府
血液型:B型
*公式サイトより一部転載
東大阪市立の小学校、中学を卒業。高校は近畿大学付属、そのまま近畿大学へ進学し卒業しています。
大学在学中の1988年、シャ乱Qを結成。1992年メジャーデビューしました。
つんく モーニング娘。をプロデュース Love マシーンが大ヒット!!
1997年よりモーニング娘のプロデュース開始。LOVEマシーンは、ミリオンセラーの大ヒットとなりました。
つんくは、もともと高いプロデュース力と才能がありました。それがモーニング娘。で、見事に開花したのでしょうね。
つんく 実は、ソロ曲もあった?
つんくは、1999年ソローデビューしています。TOUCH ME
2000年 シャ乱Q活動休止、2006年活動再開となりました。
つんく 結婚は?奥さんは?子どもはいるの?
つんくは、2006年にモデルの出光加奈子さんと入籍。
二人の出会いは意外にもお見合いでした。
2008年双子(女児、男児)が誕生。2011年3人目が誕生(女児)つんく、酒もたばこもやめ育児に協力。子煩悩ないいお父さんとなりました。
子どもは現在、中学生です。思春期の子育てをがんばっているつんくです。
つんく 声がでない。病気はいつから?
2008年ごろから声の不調を感じていたつんく。そんな中、シャ乱Q結成20周年のライブを日本武道館で盛大に行いました。
実は、ライブ当日も本当に声がでるかどうか不安だったのだとか。
まさかそれがガンであったとは、つんく自身も家族も周囲も誰も思ってもいませんでした。
つんく 咽頭がん公表、生きるために声帯摘出手術。
とにかく売れっ子だったつんく。忙しいスケジュール、モーニング娘。を支えるハロープロジェクト等、プロデュースの仕事も多数抱え、なかなか検査には行けませんでした。
2014年、生体検査を受けて喉頭がん発覚、この時はステージⅡ
奥さんと共にガンについて学び、半年間放射線治療を続けました。
2014年10月には主治医より「寛解」を告げられ公表。
ところがガンは取り切れておらず2014年10月に声帯摘出手術。
つんくは声を失いました。生きるために声を失う苦渋の選択をしました。
つんく 本を出版。徹子の部屋では、パソコン筆談が話題に。
そんなつんく、当時の思いを本にして出版していました。
声を失っても筆談でメディアに出演。2016年には徹子の部屋にも出演しました。黒柳徹子とパソコン筆談での会話でした。
つんく 食道発声で声が出るようになった?現在はどうしている?ハワイへ移住した。
つんくは、声帯摘出後、少しでも声がでるように食道発声訓練を行い、静かなところだと声が出るようになりました。
2016年から家族と共にハワイへ移住。環境を変えて家族と穏やかに生活する日々となりました。
2020年には新型コロナウィルス感染症対策で日本滞在。自身の経験からがん検診の大切さを呼び掛けたりしています。
また2025年に予定している関西万博の特別アンバサダーに就任するなど、幅広く活動しています。
まさに激動の人生を歩むつんく。才能豊かな音楽家。つらい選択をしたからこそ、見える世界が必ずあると思います。
つんく いつまでもお元気で。応援しています。
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