石川ひとみ まちぶせとは?
アイドル全盛期の1980年代、華麗な容姿から、テレビや雑誌でよくお見かけしていた石川ひとみ。歌もうまかったですね。今はどうしているでしょうか?
石川ひとみ まちぶせ作詞、作曲は誰?
ユーミン作詞、作曲。松任谷正隆さんが編曲。
夫婦で作った名曲です。
この曲は1970年代後半に歌手活動していた三木聖子さんのカバー曲で、1976年にシングルが発売されました。
「まちぶせ」の歌詞は、三木の実体験を取材(ユーミンが三木にインタビュー)して作られたそうです。
1981年、石川ひとみさんも歌うようになり、
石川さんも歌詞と同じ経験があると後に話されています。
さて、そんな石川ひとみさん、今はどうしているのでしょうか?
石川ひとみ プロフィール
生年月日:1959年9月20日 愛知県海部郡 美和町(現:あま市)出身。
幼少期はおてんばだったとか。
七宝幼稚園に通うと近所の男児と田んぼの中で大喧嘩、泥だらけで帰宅したことも。
正則小学校6年の頃は、ソフトボールに熱中。エースで4番を務めていたそうです。
スポーツ以外は幼稚園頃からピアノを始めています。
小学6年生(当時)の1972年3月19日、CBCテレビのど自慢番組に出場。
南沙織の「潮風のメロディ」を歌い準優勝。これが初のテレビ番組出演でした。
中学校では軟式テニス部に所属。当時から目が大きく整った顔立ち、男子生徒からの人気が高かったようです。
名古屋短期大学付属高校2年の時、オーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンに。
番組オーディションでは、岩崎宏美「ドリーム」を歌いますが、歌詞を間違えて「ごめんなさい」と絶叫。収録が中断するハプニングも。
駅の広告で東京音楽学院名古屋校を知り、見学に出向いた当日は入試日で「もしよければ受けていただいてもいい」との職員の言葉で受験→見事合格。
1978年に歌手としてデビュー。
歌唱力も高くアイドルとして人気が出るも、なかなかヒット曲には恵まれず。
1981年 11枚目のシングル「まちぶせ」発売。
これが売れなかったら歌手はやめるつもりだったとか。
全国キャンペーンで、まちぶせを歌い続け、ロングランの大ヒット。
歌う楽しさに目覚め、引き続き歌手を続けることに。
まちぶせのヒットにより1981年紅白歌合戦にも出場しています。
1979年~1982年まではNHK「プリンプリン物語」で主役のお姫様「プリンプリン」の声優をつとめています。
他にもNHK歌番組「レツゴーヤング」では、太川陽介さんと司会を務めるなどマルチに活躍します。
出典:wikipedia
石川ひとみ 肝炎で事務所契約解除
1987年に初めてのミュージカル「はだかの王様」で主演になりますが、リハーサル中にB型肝炎を発症。
入院となり治療に専念。
退院後、所属していた渡辺プロダクションとの契約が解除となり、芸能活動は休止に。
当時は、肝炎に対する偏見が今よりも強く「感染する」との誤情報から、契約終了となってしまったようです。
1988年芸能活動を再開。
1993年 デビュー以来バックバンドを務めていた、作・編曲家の山田直毅と結婚。
B型肝炎で入院中、ずっと石川ひとみさんを支えたのが山田さんでした。素敵な恋物語です。
その後、1997年から2年間NHK教育『母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開。
CDアルバムをリリースしているほか、エイズや肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)があります。
病気の経験からチャリティ活動にも熱心な石川さんです。
石川ひとみ 近年の活動
2015年末から浅草のアミューズ・カフェ・シアターでアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始。
デビュー40周年の2018年に、1983年の「プライベート」以来35年振りで9枚目のオリジナルアルバム「わたしの毎日」を発売。
同年7月にアルバム発売記念ライブ、10月に40周年記念コンサート、2019年2月に東京と名古屋で追加公演をそれぞれ開催しています。
2021年4月に自身初のライブ配信、5月に初のDVD作品「石川ひとみ LIVE わたしの毎日」を発売されました。
石川ひとみ まとめ
メディアではあまりお見かけしませんが、石川ひとみさん、今も活躍されています。
お子さんはいらっしゃらないようで、だんな様と共に音楽活動を続けていらっしゃるのでしょうね。
機会があれば石川さんの講演会とかも行ってみたいです。
石川ひとみさん公式サイト
それから「まちぶせ」は、今の時代、ストーカーとして訴えらるかも?です。
みなさん気を付けましょう。
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