1992年「部屋とYシャツと私」でミリオンセラーの大ヒットを果たした歌手の平松愛理(ひらまつ えり)
その後、結婚をして一児を授かるも離婚。
神戸の実家は阪神淡路大人災で被災、自身の病気など。
ジェットコースターの人生を歩んでいます。
平松愛理、今はどうしているでしょうか?
平松愛理は、神戸市内の開業医の娘。デビューまでのプロフィール
本名:平松絵里(ひらまつえり)
生年月日:1964年3月8日 (2022年 現在58歳)
出身:兵庫県神戸市
家族:父、母、兄の4人家族。
父親は医師。神戸市内で平松医院を開業。兄も医師、関西労災病院副部長。
医者の娘で、かなりのお嬢様だった平松愛理。天真爛漫に神戸で育つ。
3歳の頃からオルガン、ピアノを習う。
親和女子中学、高校在学中からバンド活動。
18歳で「ERI & WONDERLAST」を結成。
神戸海星女子学院大学在学中オーディションを受ける。
大学卒業後、アマチュアバンドを解散。単身上京、レコード会社に売り込む。
1982年 デビュー
1992年 アルバムからシングルカットした「部屋とYシャツと私」が100万枚近いセールスを記録。大ヒット。
1995年 阪神淡路大震災で実家(平松医院)が全壊。
自分に何ができるか考え、神戸でのチャリティライブを開催(2020年まで続けた)
平松愛理の結婚相手は、編曲者の清水信之だった。
平松愛理は、1994年に結婚。だんな様の清水さんは5つ年上。
結婚式は世田谷区内の教会で盛大に開かれ、多くの音楽関係者から祝福される。
お相手は、平松愛理の曲を編曲していた清水信之。
写真は若い頃の清水信之、かっこいいですね。
清水信之もマルチに活躍するミュージシャン。
平松愛理の作品では、1990年4枚目のシングル「月のランプ」を編曲。
以後、平松愛理の楽曲編曲を担当。
もちろん部屋とYシャツと私も清水信之編曲。
仕事を共にするうちに魅かれあったのでしょう。
とても御似合いなお二人です。誰もがうらやむ素敵なカップルでした。
平松愛理、娘 初一音さん誕生するも、子宮内膜症と乳がん治療に追われる。
結婚後も精力的に音楽活動に励む平松愛理。
1996年には待望の女児が誕生。初一音(はいね)と名付けました。
音楽家の両親らしいお名前です。
一方、以前から激しい生理痛、腹痛を患っていた平松愛理。
病名は、子宮内膜症。
そのため出産事態が大変なリスクを抱えてのことでした。
無事に出産でき本当によかった。
出産後「夫婦そろって仕事に出かけては子どものためによくない」との思いから、
夫婦どちらかは自宅で子育てに専念。
子ども中心の生活にシフト。
仕事と子育ての両立は大変だったと思いますが、夫も協力的で共働きで音楽活動を続けてきました。
2001年、平松愛理は子宮摘出手術を受ける。
その時の様子を1冊の本にまとめて出版しています。
その後、乳がんも発覚。健康面で不調な日々が続きました。
平松愛理、離婚をしてシングルマザーとなる
仕事、自身の健康問題、子育て・・と激動の日々を送っていた平松愛理。
激動の中、夫との信頼関係も少しずつ崩壊していき2005年に二人は離婚。
娘の親権は平松愛理がもつことに。
ただし憎しみ合ってのことではなく、離婚後も娘の参観や学校行事には夫婦で参加。
戸籍上は家族じゃないけど、こんな家族があってもいいと感じます。
平松愛理、元夫のコンサートに出演。娘も登場する。
2020年10月、東京で「Nobuyuki Shimizu Presents 平松愛理×清水信之」のコンサートを開催。
元夫と16年ぶりに共演。このことはネットでも大きな話題となりました。
コンサート終盤には、スペシャルゲストで、一人娘のHeineさんがサプライズ出演。
家族3人で共演しました。
娘の写真(娘もミュージシャンとして活動中)
娘の歌声に、平松愛理が感極まり涙する一幕が。
大歓声の中、コンサートは幕を閉じました。
平松愛理の現在は?
2021年8月、コロナ感染を公表した平松愛理。予定していたコンサートはキャンセルとなり治療に専念することに。
2022年現在、平松愛理は、特に目立った活動はしていません。
コロナが落ち着いたらまたコンサート活動を復活させることでしょう。
平松愛理さんの元気な歌声を心待ちする日々です。
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